メッセージ

STiPS設立拠点長・小林傳司



なぜ、今、「公共のための科学技術政策」が必要なのか

「この論争は安全性に関するものではなく、
どのような世界に生きたいと欲するかという、はるかに大きな問題に関するものである。」
(Select Committee on Science and Technology 2000)
この一文は、英国で90年代末に過熱した遺伝子組換え作物(GM)論争の教訓として英国政府がまとめた報告書のものです。

現代社会における科学技術政策は、社会の駆動力としての科学技術のあり方を形成する重要な政策となっています。一方で当然のことながらその政策は、科学技術の研究者集団のための振興策に尽きるものではありません。この点は、科学技術政策を「社会及び公共のための政策」の一つと位置づけた第4期科学技術基本計画(平成23年)においても前提とされており、社会的課題に対応した科学技術政策の形成が必要とされています。つまり、これからの科学技術政策は「どのような世界に生きたいと欲するか」という問いに答えるものでなければならないのです。

また科学技術政策を進めるにあたっては、「客観的証拠(エビデンス)」に基づいた「政策のための科学」が整備されるべきであることは言うまでもありません。しかしそれと同時に、そのような「政策のための科学」が、ともすれば客観的証拠を論文引用数や経済指標など「定量化可能なデータ」に限定した営みになることも私たちは懸念しています。

英国のGM論争の事例は、定量化可能なリスクに基づく安全性の説得という政策的対応が、問題の解決に至らなかったという反省を示しています。決定的に欠落していた視点は、世の中の人々が、科学技術や公共政策に何を期待し、何を懸念しているか、どのような世界に生きたいと欲しているのか、といった社会の期待と懸念を把握することであり、これは統計的世論調査のような定量的方法だけで把握することは困難です。そのために必要なのは、研究者コミュニティや産業界、政策立案者のみならず、一般の市民も含めた多様な人々や組織・集団が、直接・間接に議論し、熟慮を深め、自ら期待と懸念を顕在化し共有していく参加・関与・熟議のプロセスであると私たちは考えています。本拠点では、これを「科学技術への公共的関与(public engagement)と呼んでいます。
大阪大学および京都大学の連携による本人材育成拠点で重点を置くのは、「科学技術の倫理的・法的・社会的課題(ELSI)に関する研究を基盤として公共的関与の活動と分析を行い、学問諸分野間ならびに学問と政策・社会の間を“つなぐ”ことを通じて政策形成に寄与できる人材、言い換えるならば「科学技術への公共的関与」を促進する人材の育成です。

こうした公共的関与は、政策形成の初期の段階(アジェンダ形成段階)を含む各段階で、一般市民を含む多様なステークホルダーが参画・関与する公共的関与の活動と分析を行い、そこから社会的課題(期待や懸念、問題)を発見・特定し、政策や研究開発の立案・計画、テクノロジーアセスメントや社会的な合意形成等に反映させていく必要があります。そこで重要なのは、科学者・技術者の側が何を問題とし何をしたいかのみならず、社会の側が何を解決すべき問題と考え、科学技術に何を期待し、何を懸念しているかを把握することです。

そのためには、自分の専門分野の枠組みを超えて、広く俯瞰的・多角的に科学技術と社会の諸問題・課題を洞察・理解し、かつ公共的関与の活動と分析を行えるような知識とセンス、実践的な能力を備えた人材の育成が急務であると考えています。



公共圏における科学技術・教育研究拠点(STiPS)
STiPS設立拠点長 小林傳司(大阪大学)

大阪大学総長・西尾章治郞

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2012年度より、大阪大学は京都大学と連携して「科学技術イノベーション政策における『政策のための科学』」推進事業の一環として、「公共圏における科学技術・教育研究拠点(STiPS)」プログラムを実施して参りました。2011年3月の東日本大震災やそれに引き続いて起こった原子力発電所事故などを契機として、「科学技術文明」に改めて目を向け、その倫理性やイノベーションのあり方について考える必要性が高まったこと、また真に社会に貢献するイノベーションを実現するために大学が取り組むべきことは何かが問われるようになったことに対する、両大学からの応答がこのプログラムだと考えています。大学は科学技術の最先端を生み出す場でありますが、同時にこうした科学技術が社会にどのようなインパクトをもたらすのか、文理の壁を超え、さらに文明論的な視点も盛り込んで検討し得る場でもあります。

このプログラムが、そうした研鑽の機会を提供してきたことを誇りに思いますとともに、今後もその成果を学内のみならず、広く社会に還元していきたいと考えております。これまでも、大学は科学技術に関する研究や教育の実績を積んできましたが、本プログラムを通じて、「倫理」や「イノベーション」という視座を加えることにより、一層厚みの増した研究や人材育成につなげていくことができるものと確信いたしております。

京都大学総長・湊長博



「政策のための科学」が掲げる、様々な政策課題について、科学的な根拠をもとに論理的に検討し、その結果を用いて関係者及び社会と対話を進めるというプロセスは、先進諸国の潮流となっており、その役割を担う人材の育成がわが国でも求められています。新たな感染症との闘いを強いられる社会において、根拠に基づく政策形成への必要性は広く認知されるに至り、つなぐ人材の育成を標榜する本プログラムの役割は、より大きくなりつつあるといえるでしょう。

本プログラムは、平成24年に大阪大学との共同で関西の拠点としてスタートしました。この間、本学におけるプログラムの修了生は、令和2年度において26名を数え、中央省庁及び地方自治体の行政官、シンクタンク、学術機関の研究者をはじめとする多様な機関に人材を輩出しています。スタートから10年が経過し、関西の拠点の他、政策研究大学院大学、東京大学、一橋大学、九州大学といった全国の拠点を巣立った修了生のコミュニティも充実しており、縦と横の交流により、「政策のための科学」の一層の深化が図られるものと思います。本学の「政策のための科学」プログラムにおいて、受講生のみなさんが切磋琢磨し、これからの日本の政策形成を担う人材として活躍されることを願っています。