FONT SIZE :
成果物

小寺秀俊・教授



「政策のための科学」と人材育成の必要性
教育プロジェクトについて



「政策のための科学」と人材育成の必要性


われわれは総合大学にいます。京都大学は研究大学と呼ばれていて、それぞれの研究科の中にたくさんの研究者がいます。京大で約3000人、それからポスドクなどを入れると6000人近くになるのですけれども、その研究者は自分たちが何をしたいのかという考えで基礎研究をしているのですね。自分たちの興味でドライブしている、「キュリオシティ・ドリブン型」といわれます。その次の段階は、それらが具現化して社会に出て行き、社会がそれを受け入れて、展開されていく。それは人文社会系からわれわれの科学技術まで全部同じですけれども、社会に出て行く時、何に基づいて社会が受け入れたらいいのか、基礎研究がそのまま受け入れられるのかどうかというと、少し違うと思うのですね。社会には社会のニーズ、社会が具現化するためのフィルターをかけて、その中で取捨選択をして、最適なものを選んで、社会に展開していく。社会に展開していったものは必ず戻ってくる。またニーズが出てきて基礎研究に戻ってくる。実は基礎研究から応用研究、応用研究から開発研究へといく時に、自分たちの影響力というのを予測しているのかどうか。実は予測していないのですね。どの部分を行うのかに関してはいろいろなデータに基づいて、実はわれわれ頭の中へそのデータを全部入れて、それでぐちゃぐちゃっと夜中に考えて、パッと目が覚めたら朝これをしようと思いついているのですけれども、それは整理されていない。だから第三者の人に聞かれると、どうしてこの研究を行っているかという説明ができない。その影響力というのも説明できない。

それは、日本はこれまでは世の中が非常に活性化されて、発展していたからよかったですけれど、今は停滞系になって、世界の中で日本だけ遅れていこうとしていますね。もっと研究開発はスピードを上げないといけない、世界や世の中との距離を近づけないといけない時に、いったいどうしたらいいのかというと、われわれが判断していく、研究開発を展開していくという時に、きちんとデータに基づいて、ものを判断できるということが重要です。自分たちはそれができないのであれば、それをきちんと整備してデータをとって、いろんな判断基準を示してくれる人たちが必要なのです。今判断を間違えると大変なことになります。判断のスピードが遅れると、いろいろな事故が起こったり、人や世の中に影響したりしますから、スピード感のある判断、責任を持った判断ができる人たちを育てたい、というのが希望ですね。

例えば工学部を出た人間が、全員が研究者や開発者になるかというと、そうではないです。普通の会社に入ったとしても、世の中に出たとしても、研究者をする年齢はたぶん35か40前までくらいです。その後は経営者であり、例えば人事へ行く人、営業へ行く人、管理へ行く人、いろいろなタイプがいます。ところが彼らにはデータでものを判断するということは全然教えていない。最初から自分たちはマネージメントへ行く、学術政策をやっていくということを目指す人がいてもいいと思うのです。そういう人は将来管理者になり、行政をやったり、世界のいろいろな機関で働いたりすると思いますが、その時に必要な知識を、例えば修士までは研究室にいて、ドクターからは政策論、政策の科学のような議論の中で、自分たちの科学技術を見ていく、ということができる人を育てる。一度専門的な研究をして、科学技術に触れているから、それがやれる。両方のセンスが要ると思います。これが、この政策の科学を進めないといけないと思う意識です。

「キュリオシティ・ドリブン」の部分をなくすと、新しい研究が生まれなくなる、ということはないと思います。日本は、5年とか10年という研究プロジェクトだけを見ているのではなくて、100年、150年延々と、何かごちょごちょと行ってきたものが、ものを産んでいく、そういう非常にロングレンジの研究開発というものが重要であるということを、たぶん研究者も分かっているし、お金を出すスポンサーやファンディングの人たち、社会もみんなそう思っていると思いますね。そういう必要性をみんなが感じていると思っています。ということは、その部分を切り捨てないような努力をしている。大学でも3000人の教員は、みんな出口に近いのかというと出口に近くありません。出口に近い研究と同時に長いロングレンジの研究、「キュリオシティ・ドリブン」の研究を絶対に捨てないでおこうとしていますね。その精神が必要で、そういうところに世の中もファンディングしています。例えば研究開発投資をする時に、その投資をどこへ持っていくべきか。例えば世の中の経済状態が悪いからどの部分を絞って、どの部分を増やすのかという判断も、基礎研究から応用研究まで、それから社会までを全部見た判断が要ります。極端に出口だけを志向したような国や会社もありますけれど、そうなると、基礎研究が全部なくなって、基礎研究を海外に頼らないといけなくなりますが、日本はそうならないと思います。



教育プロジェクトについて


研究開発のプロジェクトを評価する段階において何が重要かというと、まず自分のセンスが重要視されますが、自分のセンスを重要視している時、自分たちはあまり自信がないのです。本当にそれが正しいか、自分が見聞きしてきたデータだけに基づいて、頭の中にある知識だけに基づいて判断しています。その中でミスジャッジがいっぱい起こるわけです。それについて実際のところ責任を持ってないのですね。例えばプロジェクトがターミネートされたとしても、それに関して自分が責任を持っているかというと、その後追及されない。ということは判断を間違ってはいけないということがあります。判断を間違わないためには、きちんとこういうデータに基づいて判断しますということを言わないといけないですね。はっきり言って、その手法をわれわれは習得しているわけではありません。「こう思うのだけど」ということを相談する人がいたら、その人たちがいろいろなデータを集めて、海外、国内、そういうところからそのプロジェクトの情報を集めて判断すべきです。ですから、今回のような教育プロジェクトというのは非常に重要です。

まずこの分野を学ぶ人たちは、自分たちが科学技術なり、これは他の分野でもかまわないのですが、ある専門性のもとに自分たちが一時期プレイヤーであった必要があると思います。そのプレイヤーであった人たちが、問題意識をきちんと持って次には手法を学ぶ。手法を学んだら、必ず使い方を勉強しないといけない。手法は、知識であってはならなくて、知恵にしないといけない。知恵にするために、どれだけトレーニングをするのか。成功例ばかりがあってはいけない。一方向的な判断は非常に危ないので、多くの失敗例をもとに、多くの判断基準を持って、その中で最良のものを選択していく、そのような勇気と技術を持たせるということが必要です。非常にタフなカリキュラム、教育システムが要ると思います。ぜひこの政策の科学は、政策を科学する人を作るだけではなく、そういう人たちをどのように育てるかという開発もして欲しいと思いますね。

先週ワシントンで、京都大学から来ていた学生と話をしました。今の学生たちは世界感覚、世界の視点でものを見るようになってきています。これからそういう学生が増えると思うのですが、学生たちには特に世界的な視点でものを見てほしい。そのためには世界的な文化とか考え方というのを習得できる柔軟な思考というものを持ってほしいのです。自分たちはこうだっていうのに陥りがちです。手法やテクニック、実習というものを行うと、自分たちはこれでいいと思ってしまうのですけれども、そうではなくて、いろいろなものの見方があって、判断基準もいろいろあるという柔軟性が必要です。教える方もそうですが、学生には、自分の柱を持っていると同時に、柔軟性を捨てないようにしてほしいと思います。

人文社会でも科学技術でも、ある時自分でデータを集めて評価する立場に立ったことのない人たちは、プレイヤー側のマインドやものの考え方は分からないですね。その人たちのことが分からないのに、自分たちがデータで判断します。そうするとそのデータで判断したものを伝える時は冷たくなります。それを受ける側は、冷たい言葉というのは頭の中に入っていきません。拒絶するだけです。そうではなくて、きちんと話ができるようにするためには、迎合するのではなく、研究者、開発者など、どのような立場、分野でも良いのですが、判断される側の立場に立った経験が必要かなと思います。

今回、関西は大阪大学と京都大学で連携して行うことになっています。地域的に近いということだけではなく、大阪大学は大阪大学の校風があって、学生はそういうところで育っています。京都大学は京都大学の校風があってそこで育っている。そういう考え方の違う学生が、一緒に教育を受けて、そこでディベートしたり、知識を戦わせることによって、多様性や柔軟性が生まれると思います。そういうメリットを最大限に発揮させたいですね。京都大学は、もともと時間が長く流れる土地にあって基礎研究重視、大阪大学はもう少し出口に近くてスピード感のある大学、と言われます。この二つの大学が一緒に行うことはとても重要だと思います。一緒に行うことのメリットをわれわれは最大限に活かしたいし、学生はそれを最大限に享受してほしいと思っています。そうしてその地域にはないメリットを活かして、人を育てたいし、人に育ってほしいと思っています。