実践インタビュー

World Wide Views on Global Warming・実践インタビュー

同じ問いを、同じ日に、世界中で

「World Wide Views」はデンマークにあるDBT(Danish Board of Technology/デンマーク技術評価局)が中心となって実施した温暖化問題に関する世界市民会議です。2009年にデンマーク(コペンハーゲン)で気候変動枠組条約締約国会議(COP15)の交渉に当たる政府関係者に対して世界の市民の声を届けることを目的として開催されました。そして日本でも開催するため、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターが中心となって「World Wide Views in JAPAN」が発足、上智大学と北海道大学CoSTEPの協力のもと、京都で開催することができました。世界中のいろいろな国で、同じ日に、同じ問いに対して、同じ方法で議論する。そしてそれぞれの国の人たちの発言を、国際交渉に参加する人々に対して提言するという壮大な社会実験は、おそらく世界で初めての試みだったと思います。

グローバルスタンダードから見えた今後の課題

実際に行ってみると、いろいろな課題も見つかりました。1つは、世界共通の提供情報で、世界共通の問いについて考えるという制約条件から生じました。世界38カ国共通で行うというのがルールだったので、「例えば日本では……」というように、身近な事柄にフォーカスを当てた情報提供ができません。そのため、せっかく一般市民の人々に集まってもらって議論しているのに、議論の内容は参加者の日々の暮らしからは乖離してしまっていたのです。

世界中で議論するためローカルな問題を扱うことはできません。世界共通で議論するということに対して、各国の地理や文化、社会の状況とどのようにしてバランスを取るか、そのための仕組みをどのように設計していくか、今後の課題だと思っています。

また、会議の設計に積極的に参加していくためには、地球温暖化に関する多様な専門分野の専門家の存在が不可欠です。しかしそういった専門家をフルスペックでそろえることが可能な国は非英語圏ではそれほど多くはありません。そのような条件の中で、日本が果たすべき役割についても考えていく必要があると思っています。


境界線を越えて初めてわかること

「World Wide Views in JAPAN」のような前例のない市民会議を終えて、改めて気づかされたこともあります。一日の議論を終えて、参加者からは「このようにさまざまな立場の人と議論する機会ってあんまりないよね」という声をたくさんいただきました。実際に会議が始まるまでは、議論なんて成立しないのではないかと思っていた人が多かったようです。

例えば、TVで環境問題が取り上げられていても、家族同士や友人同士で真剣に議論することは少ないと思います。政治的なイシューや科学技術に関わる問題のように専門知識を必要とするものに対して、議論する機会は普段はほとんどないですよね。まして初対面の人と議論する機会はほとんどないと思います。でもやってみて、多くの方が、「議論はできる」という実感を得たことは重要なことです。

また、世界の会議を見ると、例えばインドではカースト制度を越えて、議論を成立させたことが画期的だった。民主的な制度が整っていない国では、一般の人々の声を国際交渉の場に届けるという機会ができたこと自体に感動があったという声もありました。国によって「World Wide Views」の果たした役割は異なっているのですよね。だからそこで生じる問題も異なっていて、国境を越えて生じた問題には、国境を越えた議論をしないとわからない問題があることを実感しました。

また市民から「アジェンダ=議論すべき問い」そのものを考えたいという意見があったことは非常に印象的でしたね。世界中で同じ問いをするということに意味はありましたが、市民の暮らしから議論を乖離させないためにも、問い自体を問い直す必要性を強く感じました。

● 八木絵香・准教授
大阪大学
コミュニケーションデザイン・センター

原子力に関するオープンフォーラム・実践インタビュー

原子力の議論とそのための場所づくり

私自身、ファシリテーターとして原子力の専門家と専門知識をもたない普通の人々、あるいは異なる意見をもつ専門家同士が対話する場をつくることにこの10年ほどの間、取り組んできました。もちろん東日本大震災以前のことなので今と状況は異なりますが、推進・反対いずれもの両方の意見をフェアに聴ける場はそれほど多くはなかったと思います。

原子力を使い続けるのか否か、日本のエネルギーをどう選択するのかを決めるためには、専門家のみならず、市民一人ひとりが自分の意見を吟味し、選択していく必要があります。そこには唯一の「正解」はありません。だからこそ、自ら考える際の1つの判断材料として、意見の異なる専門家同士の対話の場に触れることは重要です。そして、そのとき大切なことは、対話の場が「公平に運営されること」だと思ったのです。

そこで当時、反対派の専門家である京都大学の小出裕章さんに相談しました。彼は「公正に運営されるのであれば、意味のあることです。僕はどこでも参加しますよ」と言ってくださり、そこから「原子力に関するオープンフォーラム」を開催するための活動が始まりました。


BestではなくBetterを

原子力について議論をするときに、どういうやり方が中立かと問われれば、そこにも1つの正解はないと思います。どういうアジェンダ設定にするか、誰が専門家として登壇するか、誰がどのようなファシリテーションを行うか、その1つひとつについて「中立」に関するさまざまな考え方がある。

ですから私たちは中立な立場に立つための方法として、BestではなくてBetterを目標にすることにしようと考えました。それはつまり、登壇していただいた反対派の小出さんと推進派の杤山修さんの合意ですべてのルールを決めることで、公平性を担保しようとしたのです。

対話のやり方を、主催者の側が決めるのではなくて、そのすべてを両者に確認して、合意の上でルールを取り決めました。ですから準備にはすごく時間がかかりましたね。その甲斐もあって推進派:反対派=6:4の状況の中で、アンケートを取ると、その双方から概ね公平であったという評価が得られました。


東日本大震災をへて変わったこと、変わらないこと

東日本大震災以降、原子力を取り巻く社会の状況は大きく変化しています。以前と似たような枠組みは必要ですが、同じではないはずです。オープンフォーラムでは、超長期にわたる高レベル放射性廃棄物に関する問題を短い期間で決着するのではなく、ゆっくりと時間をかけて議論し、個々人が判断するための材料を提供する、論点を多くの人の間で共有することが前提でした。ある意味において、決断はもう少し先送りにして、まずは丁寧な議論をしましょうというコンセプトだったわけです。

しかし現状では、福島の除染の問題や再稼働問題など、目の前の課題に対する喫緊の決断と、長期的にどのようなエネルギー源を選択するかという、異なる次元の決断をすることが必要です。

前者については、十分な議論よりも、スピード感のある政策決定が求められる部分もあります。そういう状況においては、そもそも原子力の問題の中で、何について、どのような形で、十分な国民的熟議を経ることが可能なのかについて問い直す必要もあると考えています。


● 八木絵香・准教授
大阪大学
コミュニケーションデザイン・センター

遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議・実践インタビュー

コンセンサス会議のきっかけ

私がコンセンサス会議を知ったのは、イギリスに滞在した1994年です。そのとき、イギリスでは初となるコンセンサス会議の準備が行われていました。初めは、なぜ市民を集めて議論するのか疑問でしたが、ヨーロッパのコンセンサス会議について調べている人たちと話し、理解を深めていくうちに、これは日本でもやるべきだと確信したんです。

帰国後、コンセンサス会議について調べていると、科学技術社会学を専門としている東京電機大学の若松征男さんが日本でもやろうと私に声をかけてくださいました。それがきっかけとなって、日本で開催するための活動を開始しました。イギリスに行く前であれば、コンセンサス会議のような実践的なことはしなかったと思います。私たち日本の研究者は、西欧の先進事例を調査し紹介するだけで、学問の成果を実践的に展開することをしてきませんでした。日本の大学制度は、西洋の学問を翻訳することが伝統的に重要視されてきましたからね。

しかし社会実験をする取り組みを日本でも行うべきだと思うのです。まず自分たちの考えでやってみて、そしてオリジナルを持った上で海外に調査に行くのはいい。何も考えを持たず調査に行って、考え方などすべてを影響されてしまうのは、良くない傾向です。これからは西欧に追随するのではなく、自分たちで問題を見つけ、試行錯誤を繰り返しながら、解決するためのプロセスを実施していく必要があると思います。


日本人にはできないと言われ続けた議論を大阪で

イギリスのコンセンサス会議では、事前に市民パネルを集めて一人ひとり面接をするんです。なぜそういったことをするのか聞くと、「マッドかどうか調べるためだ」と言っていました。市民をランダムに集めたら議論にならないんじゃないかという不安を、イギリスの専門家たちも持っていたんです。

私たちにも同様の不安がありました。その上、私たちは上の世代から、こういうことは西洋人だからできるのであって、日本人は議論できない、現に大学の授業でも日本の学生は質問しない、だからコンセンサス会議は日本では無理だと何度も言われ続けてきた。ですからやはり不安はありました。そのため第1回の開催にあたっては、よく喋る人が日本一多いと思える大阪を選びました。私は名古屋、若松さんは東京に住んでいたにも関わらず、わざわざ大阪で遺伝子治療をテーマに開催したのはそれが理由です。

実施後、大阪の人たちからは「こんなおもしろいことはない。もっとやってくれ」という声が聞けました。それで確信を持てたので、翌年には別のテーマを設定して東京で行いました。実施してみて気づいたのは、私たちの社会の中で、ほかの人と一緒にまともな議論をしてみたい人はたくさんいるということです。社会の側がそういったチャンネルをつくってこなかったということがよくわかりました。


それぞれが緊張して始まった「遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議」

今までのコンセンサス会議では予算もなく、広報も十分にできなかったので、知人に声をかけて集まってもらっていました。そうすると、どうしても集まった人々には偏りがある。「遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議」では、初めて市民パネルを公募することができました。また、新聞の社説欄でも取り上げてもらったこともあって、最終的には全国から479名の応募がありました。そこから年齢、性別、出身地域のバランスがとれるようにして、ランダムに十数名を選出。ただ農業をしている人を必ず1人は選ぶようにしました。今回のテーマから必要と考えたからです。

最初の会合では私も参加者も、主催した農林水産省の役人の方も緊張していました。役人の方は、私が農林水産省を叩くために会議を誘導するんじゃないかと不安に思い、一方で市民は私が農林水産省の手先で、懐柔されるんじゃないかと疑っている。私自身は農林水産省が裏のシナリオを動かしているのではと心配している。三者がお互いに緊張しながら始まるんです。でも会議が進むにつれて、不信感はなくなっていったように思います。私は、市民パネルの方々がユーモアを混ぜて自己紹介できる人たちだったので安心することができました。参加者は、今まで会ったことのない人と議論してもいいと思って、時間をかけて準備してきてくださった方々ですから、今思えば当然だったのかもしれません。


メタコンセンサスという答え

デンマークのコンセンサス会議とは異なり、日本での会議はコンセンサス(合意)の形成を目的にはしていませんでした。実際、最後まで徹底して遺伝子組換え技術に大反対する人がいましたから全員の意見は一致しなかったんです。ただ何時間もかけて議論していると、どうしてこの人はここまで反対するのか、その理由をみんなが知りたがります。その方の言い分は、自分の子どもにアトピーがあり、医師から、添加物の入った食べ物を避けるように指導されており、この上必ずしも必要とは思えない遺伝子組換え食品をさらにバラまくことは許したくないというものでした。

その理由を聞いて、ほとんどの人が納得していました。しかし、だからといってこの意見を全面的に肯定はできず、コンセンサスにはなり得ない。するとある市民パネルの方が「我々はあなたの意見に完全には同調できないですが、あなたの意見を無かったことにするのも耐え難い。だから少数意見として併記したいが、どうだろうか」と提案し、少数派の方は「それで結構です。公平に扱ってもらったことに感謝します」と応じました。意見の中身ではなく、意見の扱い方におけるコンセンサスが形成された瞬間です。

これはメタコンセンサスですよね。こういった方法で少数派の意見を公平に取り扱う仕組みを社会は持っていない。政治的な決着をつけようとすれば多数決を取らざるを得ませんが、政治的なコンセンサスをつける前には必要な方法だと思います。


社会の変化と共に変わる人々の意識

誰しも、議論することは大切だと言われた記憶があると思います。しかしそのための機会があっても、それは同じ学校や会社というような、基本的には固定されたメンバーで行われていました。それゆえ、自分とまったく関わりがない人と議論するということをあまりやってきませんでした。また、そういった仕組みを社会も、私たちもつくってこなかった。

ただ1995年の阪神・淡路大震災では、誰に命令されるでもなく、地縁も血縁もない人たちが被災地に集まりました。彼らは被災地というイシューに集まり、初めて出会った人たちです。そういった行動が日本人にもできることがわかったのは、あの震災から得たボジティブな側面でした。ちょうどその頃から、人々の感覚が変わってきていたように思います。そういう社会の変化が研究者の端くれである私にも感染したから、コンセンサス会議を実施するモチベーションが持てたのだと考えています。

社会にはエリートと素人と呼ばれる層がありますが、その構図は、問題ごとに変わることをリアルに感じたのもその時期でした。例えば、遺伝子組換えの農作物のテーマでは専門家の側にいる人も、金融の問題に関しては素人です。ある問題を考えるために一番適切な専門性を持った人たちを集めるとすれば、大学だけではなくて、産業界やいろんな所に声をかけないといけません。そういった固定された枠組みを越えて、適切な人材をうまく動かせる社会を機能させるにはどうすればいいか、今後の課題だと思っています。


● 小林傳司・教授
大阪大学
コミュニケーションデザイン・センター

熟議キャラバン・実践インタビュー

理由を聞くことで一歩先へ進む議論

以前、大阪大学ではCSCDのメンバーを中心として、地球温暖化問題をテーマにした市民会議である「World Wide Views in JAPAN」を開催しました。そこではあらかじめ主催者が決めた問いについて、市民が議論をしたのですが、その点に疑問を抱いた市民から「問い自体を自分たちで考えたい」という意見があがります。その反省から、問い自体(社会で議論すべき議題、アジェンダ)を市民も含めた多様の人で決めることを目的に「熟議キャラバン」を開催しました。

「熟議キャラバン」は「論点抽出ワークショップ」、「アジェンダ設定会議」、「アジェンダの活用」の3つで構成されています。議論すべき問いをつくるにあたって、市民が何を問題だと思っているのか、何を不安に思っているのかを聞き出すことから始めました。そこで大事なのは、疑問に思った「理由」を聞くことです。疑問が同じでも、理由はそれぞれ違うこともあります。また理由がわかれば、意見が対立したときにお互い納得できる部分も見つけやすい。意見を言い合うだけでは、議論は進みませんからね。

また、「熟議キャラバン」のテーマには「再生医療」を掲げていました。「再生医療」のような新しい技術の場合、その使用に関する倫理的・法的・社会的な議論は始まったばかりで、まだ制度化されていない部分もあり、さまざまな人の意見を受けながら更新されていく余地が多くあります。だからこそ、一から市民も一緒になって考える意義があると考えています。


知ることで出来る意思決定

「熟議キャラバン」に参加した市民の方々は、大多数が科学技術についての知識を持ち合わせていなかったと思います。ですが、それでも科学技術について話すことはできるんだという感覚を持ってほしい。あるいは政策について意見を言ってもいいということを知ってほしい。医療に関する問題で難しい言葉が並んだとしても、結局はその技術を自分のおじいさんに使うかどうか。それは日常生活の中でやっていかなきゃいけない意思決定の1つです。

「論点抽出ワークショップ」では、参加者にテーマに関する「一番大事なこと」とその理由をカードに書いてもらっています。このカードを使って大学院生に対して授業をするんですが、カードの内容からわかるのは、世の中には違う意見をもった人がたくさんいるということ。例えば「お金持ちしか恩恵が受けられない」や「病気が治ることは幸せなのか?」といった意見は、技術の進歩を第一に考えがちな研究者からは出てきにくい発想です。大学院生には、こうした発想に敬意を払いながら、意思決定できる専門家になって欲しいです。

また、熟議キャラバンは、市民と専門家のコミュニケーションだけでなく、市民同士のコミュニケーションにもなっているんです。例えば、お母さんだったら近所のお母さん同士で話すことが多いと思います。僕自身も職場の人との会話が日常のほとんどです。その中で、市民が多様であることを、市民自身が忘れてしまうこともあります。市民同士、それぞれ違いを持っていることを実感する機会になることが重要だと思っています。特に、社会人や主婦、高齢者の方々が学べる場であってほしい。社会の中にある科学技術の在り方に関する意思決定で決定的な役割を果たすのはこの人たちですから、この場を通じて視野を広げて、意思決定に役立ててもらえれば嬉しいです。


サスティナブルな仕組みのためにシンプルなルールを

今回は「再生医療」というテーマで実施しましたが、今後はさまざまなテーマで「熟議キャラバン」のような試みを継続していこうと構想しています。そのために、「熟議キャラバン」の仕組みはできる限りシンプルなルールで設計しているんです。

膨大で正確な情報に基づいて議論する仕組みは別にあるので、もっとシンプルに政策を議論できるようにしています。情報提供も、あえて新聞に載っている程度の情報量しか与えていません。じっくり時間をかけて専門家に情報提供をしてもらうのではなく、簡単に内容を確認してもらうだけ。そうすることで資料をつくる手間が省けます。市民の側でも、事前準備に時間をかけずに行えます。そうやって開催するハードルを下げることで、より多くの人に考える機会を提供し、そこから出た意見を集約できると考えています。

また、何か社会的に議論すべき出来事が起こったときに素早く市民の意見を抽出することができます。そういったフットワークの軽さも特徴のひとつです。「World Wide Views」のような規模の大きい市民会議とは長所や短所を補い合いながら、市民同士のコミュニケーションの場として持続的に開催していきたいと思っています。


● 山内保典・特任助教
大阪大学
コミュニケーションデザイン・センター